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岡山県には日本発祥がいっぱい!発祥の地を巡る旅

岡山県には日本発祥となっているものがたくさんあるのをご存じですか?

親しみ深いものから聞いてビックリのものまで。岡山県には発祥の地と呼ばれている場所が多くあるんですよ。

今回は岡山県には日本発祥がいっぱい!発祥の地を巡る旅】についてご紹介していきます。

発祥の地を巡るのも岡山県ならではですので、ぜひ観光スポットと合わせてぜひ訪れてみてくださいね。

岡山県には発祥の地が多い?

岡山県は古くから中国・四国地方の交通の要衝として栄えた県であり、兵庫県鳥取県広島県に隣接している場所です。

県北部には中国山地や盆地、中部には桃太郎伝説が残る吉備、南部には瀬戸内海に浮かぶ多島美やのどかな景色が広がっております。

そんな自然も多く残されている岡山県には日本発祥と言われているものが数多くあり、聞いてみると驚くものばかりになっています。

各街ごとの観光スポットを巡るのも良いですが、岡山県に訪れたら発祥の地を巡るのもおすすめです。

日ごろ目にするものから馴染み深いもの、グルメなど。どなたでも知っているものが岡山県発祥のものばかりなんですよ。

ではどのようなものが岡山県に伝わっているのか見てきましょう!

観光スポットとして知られている場所も多くありますので、ぜひ一度発祥の地巡りをしてみてくださいね。

岡山発祥と聞いてビックリ!【点字ブロック点字ブロック発祥の地】

視覚障害者の通行を補助する点字ブロック岡山県発祥と言われており、岡山を代表する史跡の一つになります。

日本のみならず世界の150ヵ国以上で使用されているもので、バリアフリー設備を発明したのが倉敷市出身の発明家【三宅精一さん】になります。

1967年に設備されたもので、岡山市の【原尾島交差点】が最初と言われています。

当時この近くには県立盲学校が建っており、白杖をついて国道を渡る子どもたちが多くいました。

それを見た三宅精一氏が安全に歩行できるように。と考案したのが点字ブロックと言われています。

当時は230枚の点字ブロックのみだったのに対し、現在は日本のみならず世界のさまざまな場所で活躍するものになります。

初めの頃は今のような黄色いものではなくコンクリートの灰色だったそうで、弱視者にもわかりやすいように。と黄色い点字ブロックが考案されました。

点状ブロックのみだったのが昭和50年には通行の方向を補助する平行ブロックが考案され、少しでも安心して歩行できるようになっていきました。

功績と後世に残すべく平成22年に【点字ブロック発祥の地】と刻まれたモニュメントが設けられ、岡山を代表する史跡になっていますよ。

点字ブロックには意味があり、昭和50年には

  • 縦線の平行ブロック:移動の方向を促す役割
  • 点状になっているブロック:注意喚起を促す警告ブロック

になっております。

近年は理解が深まり視覚障害者への配慮が行われるようになりましたが、まだまだ不十分な点が多くあります。

目が見える方や見えにくい方、全く見えない方が安心して暮らせるために点字ブロックは必須であり、私たちの暮らしに欠かせない一部になってますよ。

岡山発祥と聞いてびっくりされる方も多くいらっしゃいますので、ぜひ一度ご覧になってくださいね。

アクセス方法

場所は岡山市中区原尾島4丁目にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【岡山IC】から国道53号線を経由して25分ほど
  • 電車でお越しの場合:JR岡山駅から岡山電気軌道バスの岡電高屋行【原東・東郵便局前】を下車し、徒歩すぐ(所要時間は20分ほど)

になります。

今ではどこにでもある点字ブロック岡山県発祥と言われていますので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

若き青年が多くの子どもを支えた!【孤児院:岡山孤児院発祥の地】

近代日本を代表する開拓的社会事業家【石井十次】が創立したもので、日本で初めて孤児院が建てた人物になります。

石井十次は【児童福祉の父】と呼ばれていた人物で、1865年に宮崎県の高鍋町でお生まれになりました。

幼少期から勉学に勤しみ、12歳〜13歳は高鍋学校で学んで一等賞で卒業されます。

翌年の14歳に海軍士官を志望して東京の攻玉舎に入学しますが、脚気(かっけ)を患い帰郷しました。

明治13年(15歳)に当時の右大臣【岩倉具視】が暗殺され、その嫌疑で収監されてしまいます。

在監中に西郷隆盛の吉野村開拓の話に感銘を受け、無実が証明されると同志4人と共に【五指社】を設立して高鍋町の荒地を開墾していきます。

17歳になると現在の岡山大学医学部に入学し、19歳の時に高鍋に帰郷します。

明治20年(22歳)の時に岡山県邑久郡で代診を行なっていた際、四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かります。

これをきっかけに孤児救済事業を始め、三友禅寺の一画を借りて【孤児教育会】を設立しました。

これが後の【岡山孤児院】のことであり、医学校の同窓生やキリスト教徒らを中心に会員を募り、周囲に理解を呼びかけました。

明治24年・39年と各地で災害が発生し、多い時には1200人の孤児数であった。と言われております。

時は流れ、大正3年に48歳の若さで生涯を閉じ、十次亡き後は倉敷紡績社長【大原孫三郎】や貿易商【大庭猛】らに引き継がれますが、大正15年で幕を閉じました。

昭和20年に第二次世界大戦終戦を迎え、石井十次の孫が家や家族を亡くした子どもたちのために同年10月に児童養護施設【石井記念友愛社】を設立した。という長い歴史がございます。

医学の道に進みながら孤児の救済と教育に人生を捧げた人物であり、多大なる功績として岡山市東区に史跡が残されております。

現在も孤児院は全国に点在しており、その発祥は岡山県だと言われております。

自身の人生を孤児たちのために捧げた素晴らしい人物ですので、ぜひご興味がある方はお調べになってから行かれるとより一層感慨深い時間になりますよ。

穴場的な発祥の地ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

アクセス方法

場所は岡山市東区上阿知2258にあります。

になります。

若き青年によって子供たちが生きることができた歴史ある場所ですので、ぜひ一度足を運んでみてくださいね。

今でも多くの方に愛されるスポーツ!【ピンポン:三友寺】

お寺の敷地内に縦横1mの大きな花崗岩の石碑があり、そこに大きく【ピンポン伝来の地岡山】と刻まれております。

三友寺は児童福祉の父【石井十次】が初めて孤児院を建てた場所として知られ、岡山県を代表するスポットの一つになります。

こちらの記念碑が建てられたのは2006年のことで、岡山県の卓球協会が建立しました。

日本に卓球が伝わったのが明治35年。と言われており、東京高等師範学校(現在の筑波大学)で教授をされていた【坪井玄道】がヨーロッパから用具一式を持ち帰ります。

日本で初めてスポーツとして卓球を広めたのが明治35年だったことから、日本伝来の年として伝わっております。

ではなぜ岡山が発祥の地と呼ばれているのかというと、多くの童謡を残した作曲家【山田耕作】の自叙伝にピンポンをした。という記述が残されております。

山田耕作氏が13歳(明治32年)の時に、三友寺に寄宿していた姉夫婦のもとに暮らして岡山の養忠学校に入学します。

姉は宣教師として来日し、英語教師になったイギリス人【エドワード・ガントレット】と結婚します。

エドワード・ガントレット氏から西洋音楽の基礎を学び、それが後の作曲家としての礎になったのかもしれません。

その際にお寺の本堂でピンポンの指導を受けた。と自叙伝に記載されており、それが明治32年のことでした。

一般に伝わっている明治35年より3年早くからピンポンという存在があったことを証明しており、三友寺が初めてピンポンが行われた場所になっています。

あまり知られていない発祥の地であり、岡山県が日本初というのはびっくりですよね。

お子さんから大人まで親しまれているスポーツ発祥の地ですので、岡山市を訪れた際はぜひお立ち寄りくださいね。

アクセス方法

場所は岡山市中区門田屋敷1丁目9-31にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【岡山IC】から国道53号線を経由して25分
  • 電車でお越しの場合:JR岡山駅から両備バス西大寺行【山陽中学校・高校前】を下車し、徒歩すぐ(所要時間は15分ほど)

になります。

幅広い年齢層に親しまれている卓球発祥の地ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

初めて日本に伝わったのは岡山?【囲碁吉備真備公園】

奈良時代に学者として活躍された【吉備真備公】のご遺徳を偲んで作られた公園で、郷土の生みの親として親しまれている人物になります。

平成19年は【日本の歴史公園100選】にも選ばれており、公園の中心には吉備真備公の銅像が訪れる方を出迎えております。

岡山県には発祥の地と呼ばれている場所が多くあり、吉備真備公は中国から囲碁を最初に伝えた人物として知られています。

岡山県倉敷市でお生まれになった方で、奈良時代に学者・政治家として活躍された人物になります。

吉備真備公は遣唐使として中国に渡り、唐の朝廷からその才芸を恐れられた人物になります。

当時日本には囲碁の文化などがありませんでしたが、唐の名人と対局をさせられてしまいました。

阿部仲麻呂の化身である鬼から、囲碁で負けたら殺してやる。という朝廷の企みを聞かされます。

しかし真備公は囲碁をしたことがなかったため、鬼から即席の指導を受けます。

対局が終盤を迎えた時にどうしても真備公の陣地が足りなかったため、真備公は隙を見て取られた黒石の一つを飲み込んで逆転勝ちを収めます。

朝廷は真備公に下剤を飲ませて石を出させようとしますが、術を用いて腹から石を出すことはありませんでした。

ついに相手と朝廷は負けを認め、真備公の帰国を認めることになりました。というお話が残されています。

これはアメリカのボストン美術館にある【吉備大臣入唐絵巻】に描かれており、吉備真備公の逸話として語り継がれています。

囲碁を日本に伝えた功績を称えて、こちらの公園は【囲碁発祥の地】にもなっております。

園内には【囲碁発祥之地記念碑】が設けられており、囲碁盤と碁石のようなモニュメントが飾られておりますよ。

歴史ある地として知られていますが、現在は家族の憩いの場として人気になっており、公園や神社、うどん屋があるのどかなスポットになります。

お子さんと一緒にのんびり遊びことができ、昆虫採集や散歩など。ゆったり流れる時間を満喫することができますよ。

日本に囲碁を伝えた偉人にまつわる素敵な公園ですので、ぜひ一度お立ち寄りくださいね。

アクセス方法

場所は小田郡矢掛町東三成3872-2にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【倉敷IC】から【玉島IC】まで行き、玉島ICから県道54号線と国道486号線を経由して20分(所要時間は25分ほど)
  • 電車でお越しの場合:JR倉敷駅から伯備線(JR)の新見行【清音駅】を下車。同駅から井原鉄道の井原行【三谷駅】を下車し、徒歩25分(乗り継ぎ等を含めての所要時間は50分ほど)

になります。

お子さん連れにピッタリの癒し空間ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

猫駅長発祥の地とも言われる!【猫駅長:柵原ふれあい鉱山公園】

昭和30年頃の鉱山の様子と町の暮らしぶりを再現した資料館があり、町民の憩いの場として親しまれている場所になります。

18400平方メートルの広大な敷地を有しており、鉱石輸送用に作られた駅【吉ケ原駅舎】と操車場があった場所に公園が作られています。

園内には当時の暮らしぶりをご覧になれる資料館や、輸送用貨車や客車車両などの列車が並んでおります。

こちらの地は江戸時代に貨物を積んで吉井川を下った【高瀬舟】が用いられていた場所であり、高瀬舟は鉱石の輸送にも使用された歴史がございます。

鉱山をテーマにした公園になっており、美咲町の歴史を知ることができる貴重なスポットになっています。

こちらは【猫駅長】発祥の地と呼ばれており、2002年の春ごろに吉ヶ原駅周辺で産まれた5匹のうちの一匹が【片上鉄道保存会】の会員に引き取られました。

片上鉄道車両の展示運転中に吉ヶ原駅で手作りの帽子をかぶせたのが始まりとされ、可愛らしい姿は多くの方々を魅了しました。

名前を「コトラ」と名付け、駅員として仕事をこなしていきます。

主な仕事は展示運転中の車両が駅に到着する際、接触事故を防ぐために来園者の注意を車両からそらすことが日課になってました。

一日館長や一日駅長を歴任し、地方へ赴くことも多々あります。

2013年には新駅長【ホトフ】も登場しており、訪れた方の癒しとして活躍されております。

今ではさまざまな駅で駅長を勤める動物が多々おりますが、こちらのスポットが発祥と言われております。

美咲町を代表する観光スポットになっており、歴史ロマンを感じることができる場所として親しまれております。

猫駅長がお出迎えしてくれる素敵な場所であり、路線と周りの自然が合わさって素敵な景観を演出しております。

写真スポットとしても知られており、鉄道ファンや家族連れの方で賑わいを見せてますよ。

どこか懐かしさを感じることができる場所ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

アクセス方法

場所は久米郡美咲町吉ケ原394-2にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【岡山IC】から国道53号線を経由して1時間ほど
  • 電車でお越しの場合:JR岡山駅から津山線(JR)の快速津山行【津山駅】を下車。同駅から柵原星のふる里バスのイオンモール津山経由吉井支所行【柵原病院前】を下車し、徒歩15分(乗り継ぎ等を含めての所要時間は2時間40分ほど)

になります。

猫駅長発祥の地として親しまれているスポットですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

夏といえば海水浴!【海水浴場:沙美海水浴場】

岡山県には発祥の地と呼ばれているスポットが数多くありますが、倉敷市にあるこちらの海水浴場は日本最古と呼ばれている場所になります。

1880年に【坂田待園(医師)】が健康向上の手段として海水浴に注目して、当時の村長が現在の地に海水浴場を開いた。という歴史がございます。

その後1983年に日本最初の人口養浜工事が行われ、約6年の歳月を経て完成させました。

日本を代表する海水浴場として親しまれており、美しさから【日本の渚百選】に選ばれるほどです。

夏になると県内外から多くの海水浴客で賑わいを見せており、お子さんやカップル、家族の方の賑やかな声でスポット内が華やかになっております。

夏以外は人混みも少なくのんびり過ごすことができ、波や風の音を聞きながら素敵な時間を満喫することができます。

ビュースポットとしても親しまれており、遠くに瀬戸大橋や瀬戸内海の島々、四国などを見渡すことができますよ。

全国に数多くある海水浴場の中で最も歴史あるスポットですので、ぜひ記念に一度訪れてみてくださいね。

アクセス方法

場所は倉敷市玉島黒崎にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【倉敷IC】から国道2号線を経由して40分ほど
  • 電車でお越しの場合:JR倉敷駅から山陽本線の糸崎行【新倉敷駅】を下車。同駅から井笠バスの寄島総合支所前行【沙美】を下車し、徒歩2分(乗り継ぎ等を含めての所要時間は1時間20分ほど)

になります。

海水浴場発祥の地とも呼ばれているスポットですので、ぜひ記念に一度お越しくださいね。

国民に愛されるグルメ!【卵かけご飯:食堂くめっち】

美咲町が誇るご当地グルメ【卵かけご飯】が味わえるお店で、たまごかけごはん専門店として全国から訪れる方も多い人気スポットになります。

地元の養鶏場で採れた新鮮な卵と町内の棚田で収穫された【棚田米】をいただくことができ、美咲町産にこだわったグルメになっています。

ご飯と卵がおかわり自由になっており、平日でも絶品グルメを求めて多くの方がお越しになっています。

ではなぜ美咲町が有名なのかというと、卵かけご飯を広めた人物【岸田吟香(きしだぎんこう)】が美咲町出身であったことが由来となっています。

昭和2年発行の著書に「岸田吟香がたまごかけごはん明治時代初期に食べた」と記載されており、その中に登場する【鶏卵和(けいらんあえ)】というのが卵かけご飯の元祖と言われています。

美咲町には棚田や西日本最大級の養鶏場があり、卵かけご飯にピッタリの町であったことが現在のご当地グルメにつながった。とされています。

美咲町には卵かけご飯が食べられるお店が数多くあり、その中でも特に人気なのが【食堂かめっち。】になります。

行列ができるほどの人気店であり、2023年12月には100万人の来場者を達成しました。

卵かけご飯の良さを満喫できる一品になっており、おかわり自由なことから普段できない楽しみ方をすることができますよ。

卵本来の旨味を堪能したり、タレを少しずつかけたり。とお家ではできない食べ方をしてみるのもおすすめです。

卵かけご飯に最適なふりかけや5種類の醤油など。お好みの味にアレンジすることができますよ。

何杯でも食べられる絶品グルメが味わえるお店ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

アクセス方法

場所は久米郡美咲町原田2155にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【岡山IC】から国道53号線を経由して55分ほど
  • 電車でお越しの場合:JR岡山駅から津山線(JR)の快速津山行【亀甲駅】を下車し、徒歩20分(所要時間は1時間15分ほど)

になります。

美咲町といえば卵かけご飯ですので、ぜひ一度食べに行かれてくださいね。

オシャレな定番として親しまれる!【デニム:倉敷市児島】

ジーンズがお好きな方やオシャレな方なら一度は聞いたことあるブランド品で、倉敷市児島地区は【国産ジーンズ発祥の地】と呼ばれております。

児島地区では昭和40年に日本初の国産ジーンズが誕生した地であり、国内で縫製されたのは初のことでした。

それまでは中古ジーンズの輸入が主流。となっており、昭和20年代ごろから始まった。と言われております。

もともと日本でも藍で染めた厚手の綿織物があり、作業着などに使用されていました。

1963年に織物素材の輸入が解禁され、東京の大石貿易がアメリカのキャントンミルズ社からデニム生地を輸入し、日本人の体形にあった国産デニムの開発に着手します。

1964年に倉敷市マルオ被服が大石貿易とデニム供給で合意し、箱根より西側の販売を約束しました。

1965年にマルオ被服がキャントンブランドでジーンズの生産を開始し、1967年に自身のブランドを立ち上げることになります。

ブランド名を【ビッグジョン】と名付け、現在も倉敷市児島地区に本店を構えております。

自社ブランドを立ち上げた翌年に大石貿易がキャントンミルズ社との契約を解消しキャントンミルズが市場から姿を消すことになります。

ビックジョンは【巻き縫い】や【インターロック】などの本格的な縫製仕様を採用し、自社で企画製造販売を初めて行いました。

1973年には倉敷紡績と貝原織布(現在のカイハラ)が開発した14オンスデニム【KD-8】をマルオ被服が使用し、国産デニムを使用した純国産ジーンズを日本で初めて生産・販売した。という歴史がございます。

児島地区には多くのジーンズ専門店が軒並み営業されており、子どもから大人まで履くことができるジーンズを販売しております。

【児島ジーンズストリート】と言われている通りが設けられており、デニムを販売する専門店が集まっております。

情緒あふれる街並みが魅力の倉敷市ですが、ジーンズ一色に染まる通りがあるのも特徴の一つになっています。

平日はそれほど人混みも多くなく、ご自身の趣向に合わせたジーンズを見つけることができます。

お値段はそれなりにしますが、国産デニムを求めて全国から訪れる方も多くいらっしゃいますよ。

お子さんからご高齢の方まで親しまれているオシャレの定番発祥の地ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

アクセス方法

場所は倉敷市児島味野2丁目にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【倉敷IC】から県道22号線と県道21号線を経由して40分ほど
  • 電車でお越しの場合:JR倉敷駅から下津井電鉄のJR児島駅行【児島市民交流センター前】を下車し、徒歩5分(所要時間は1時間ほど)

になります。

ジーンズが国内で生産された発祥の地ですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

多くの方が宇宙の神秘を知るきっかけになった!【天文台:倉敷天文台

全国で初めて民間天文台として設立された施設で、天文台発祥の地と呼ばれているスポットになります。

大正時代に【原澄治】という方が創設したもので、当時は国が設立した天文台しかありませんでした。

一般の方は見ることができませんでしたが、京都大学の教授【山本一清博士】が設立した天文同好会の岡山支部長【水野千里氏】が晴天日数の多い岡山に注目します。

天文台設置運動を行い、大正15年にイギリスから購入した32㎝の反射望遠鏡を設置したのが倉敷天文台。と言われております。

当初は宇宙や空を見ることができる。と庶民の創造力を豊かにしてくれていた施設であり、現在も地域の方々に愛されている施設になっています。

地域の方々に天文一般知識普及活動を行っており、月に一回天体観望会が開催されております。

完全予約制になっていますが、澄み切った空と天候に恵まれた岡山ならではのスポットであり、発祥の地として親しまれてますよ。

天体に興味がある方やお子さん連れの方に人気があり、ロマンチックな星空を見ることができます。

今ではさまざまな場所でできる天体観測発祥の地になっていますので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

アクセス方法

場所は倉敷市中央2丁目19-10にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【倉敷IC】から国道429号線を経由して15分ほど
  • 電車でお越しの場合:JR倉敷駅から一番街を経由して、徒歩15分ほど

になります。

民間のために運営が開始された初の天文台ですので、ご興味がある方はぜひ足を運んでくださいね。

ぶっかけうどんの生みの親!【ぶっかけうどんふるいち

うどんと言えば香川県をイメージされる方も多くいらっしゃいますが、倉敷市にある【ふるいち】がぶっかけうどん発祥のお店と言われています。

創業者【古市博】は無類の麻雀好きであった。とされ、麻雀中にざるうどんを食べるのが日課でした。

ある日食事作りを命じられた現会長【古市了一】はざるうどんを丼に入れ、たれをその上にかけて具を乗せて持って行いきました。

麻雀がしやすいように子どもなりの配慮が古市博氏から感銘を受け、それを食べて「これを店に出そう」と言ったそうです。

これが倉敷市ソウルフードぶっかけうどん】が誕生したきっかけであり、味などの改良や研究を重ねて現在のぶっかけうどんになった。という歴史がございます。

倉敷市を代表するうどん屋さんで、2016・2017年の東京代々木公園で開催されたイベント【うどん天下一決定戦】で2大会連続優勝を飾ったお店になります。

創業から70年以上が経っても地域の方々に愛されており、いつの間にか倉敷名物として親しまれるグルメにまでなりました。

倉敷市ご当地グルメとして知られ、県内外から多くの方が訪れている人気店になっています。

倉敷市を中心に店舗を構えており、岡山市内にもございますよ。

倉敷市のグルメとして親しまれているうどんですので、ぜひ一度食べてみてくださいね。

アクセス方法

場所は倉敷市阿知2丁目3-23にあります。

  • お車でお越しの方:山陽自動車道【倉敷IC】から国道429号線を経由して10分ほど
  • 電車でお越しの場合:JR倉敷駅から国道429号線を経由して、徒歩5分ほど

になります。

倉敷市を代表するうどん屋さんですので、ぜひ一度お越しになってくださいね。

岡山県には日本発祥がいっぱい!発祥の地を巡る旅

いかがでしょうか。

岡山県にはたくさんのものが発祥の地として伝わっており、知ってから訪れると感慨深いものになっています。

伝統と歴史が残る街も多く、ほどよい田舎町と都会が合わさる素敵な県です。

観光地を巡るのは旅行の醍醐味ですが、岡山県のことをもっと知りたい!という方は発祥の地を巡ってみてはいかがでしょうか。

旅の思い出にピッタリの時間になりますので、ご興味がある場所があればぜひ訪れてみてくださいね。

今回の内容で岡山県に伝わる日本発祥の地についてお伝えできていれば幸いです。