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【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】12の場所について紹介

皆さんは潜伏キリシタンの歴史についてご存じですか?

長崎と熊本の天草地方には関連遺産として残されている場所があるんですよ。

今回は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の12のスポットについて】ご紹介してきます。

ぜひ長崎と天草の歴史をご覧になってくださいね。

長崎と天草の潜伏キリシタンについて

戦国時代にキリスト教が伝来して以来、多くの場所でキリスト教を信仰する方が多くいました。

あまりにも多くの人が信仰を続けたため、幕府は禁教令を出しキリスト教信仰を弾圧しようとします。

それに恐れた信徒たちは、隠れながらも密かに信仰を続けていた。とされています。

それを潜伏キリシタンと呼び、日本文化とは別の文化を築いていきました。

多くの潜伏キリシタンは長崎や天草に移り住んでいたとされており、弾圧と恐怖におびえながらも信仰を続けた歴史がございます。

これに関連性があるとされる場所が12か所あり、それを【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】として世界文化遺産に登録されました。

ではどのような場所があるのか気になりませんか?

ここでは世界文化遺産に登録されている場所をご紹介していきます。

訪れるのに不便な場所もありますので、お名前と出来事だけでも覚えていただければ幸いです。

潜伏キリシタン】と【隠れキリシタン】の違いとは

スポットをご紹介する前におひとつご紹介したいものがあります。

皆さんも歴史を学んだ際によく耳にした潜伏キリシタン】と【隠れキリシタン】の違いをご存じですか?

簡単にご説明しますと、大きな違いは信仰している期間。になります。

潜伏キリシタンは、250年という禁教令が出てから解除されるまで密かに信仰を続け、解禁された後はカトリックへ復帰した人々を指します。

一方で隠れキリシタンは、解禁後もカトリックへは戻らず少数で独自の信仰を続けた人々を指します。

このような違いがあり、今回は潜伏キリシタン関連遺産の場所になります。

島原・天草一揆の主戦場!【原城跡】

潜伏キリシタンが多くなったきっかけの【島原・天草一揆】終焉の地と言われている場所です。

この出来事により幕府は鎖国を行い、各地に存在していたキリシタンの人々が身をひそめながら信仰を続けました。

こちらでは聖母マリアのデザインが施されたメダル【メダイ】や十字架、一揆で亡くなった人々の骨が見つかった場所でもあります。

ここら一帯を統治した【有馬貴純】によって築城されたお城があったとされ、海に囲まれた土地であることから難攻不落のお城として栄えた。と言われています。

天然の要塞が完成し、本丸を囲むように二の丸・三の丸などがあり別名【日暮城】とも呼ばれていました。

現在はその面影はなく、天草四郎像や海を見つめるキリシタン銅像があるのみになってしまいました。

潜伏キリシタン発祥の場所でもありますので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

近くにはキリシタンに関連した殉教地や史跡公園がありますので、合わせてご覧ください。

アクセス方法

場所は南島原市南有馬町にあります。

  • お車でお越しの場合:諫早IC】から70分ほど
  • バスをご利用の場合:島原駅から島鉄バス原城前】を下車し、徒歩15分ほど

になります。

駐車場も20台ほどありますので、お車でお越しの方はぜひご利用くださいね。

お城は残っていませんが、【天草四郎像】などのキリシタンに関連するものが残っていますよ。

キリスト教伝来以前から信仰を続けていた場所!【春日集落と安満岳】

当時は海の向こうに見える【中ノ江島】を殉教地として拝めていた集落になります。

キリスト教が伝来される前から安満岳を信仰しており、キリスト教と山岳の両方を信仰していた場所でもあります。

こちらには象徴とも言える教会は一切なく、【隠れキリシタン】として細々と生活されていたそうです。

現在は隠れキリシタンは解散しており、当時の歴史のみが残っています。

この地にまつわる歴史を教えてくれる場所が2018年に出来、住民からお話しを聞くことができますよ。

自然豊かな場所にあり、海と自然を一望できる景観が人気となっています。

また【春日棚田】は【平戸島の文化的景観】という国の重要文化財に指定されており、漁村と農村が合わさった景観をご覧になることができますよ。

自然を満喫できる場所ですので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

アクセス方法

場所は長崎県平戸市春日町にあります。

お車でお越しの方は西九州自動車道佐世保中央IC】から1時間ほどになります。

バスや電車では大変お時間がかかってしまいますので、お越しになる場合はお車が安心ですよ。

処刑場として使用された殉教地!【中江ノ島

平戸から見渡すことができる島で、キリシタンの人々にとって神聖な場所になります。

平戸に住んでいた潜伏キリシタンが崇拝した島でありながら、キリスト教の崇拝をやめない人々を処刑した場所でもあります。

現在は立ち入ることのできない島ですが、当時は岩から出る水を採取する【お水取り】が行われていました。

このお水を聖水とし、島民だけに留まらず平戸の人々も行っていた。という歴史があります。

周辺住民からは【サンジュワン様】と呼ばれており、現在も親しみ深い島になっていますよ。

平戸からお車で行きことができる生月島からの景色は絶景となっており、多くの方が見に訪れています。

生月島にはキリシタンに関連した施設があり、中ノ江島がキリシタンゆかりの土地であったことを証明しています。

キリシタンでありながら神仏を祀り、密かに組織的かつ宗教的な活動を行っていた歴史を知ることができますよ。

立ち入ることはできませんが、島全体を見ることができますのでぜひ一度訪れてみてくださいね。

アクセス方法

場所は平戸市主師町にあります。

アクセスすることはできませんのでご注意ください。

民間の貸切制クルーズ船が出ていますので、興味をお持ちの方は調べてみてくださいね。

漁村ならではの方法で信仰を続けた場所!天草の崎津集落

天草にある漁村集落で、仏教・神教・キリスト教が混在していた場所です。

歴史は古く1569年に【アルメイダ修道士】によってキリスト教が広まり、漁村全体が信仰した。と言われています。

天草はキリシタン大名であった【小西行長】が支配したことで、宣教師を養成する場所を漁村近くに作りました。

キリスト教が発展・信仰されていた場所であり、集落には【メダイ】や【ロザリオ】が伝来した歴史があります。

このような経緯があり、現在も教会が残っており住民の多くの方が祈りを捧げている場所です。

日本の重要拠点として存在した場所ですので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

のどかな漁村になっていますので、お時間がゆっくり流れる場所になってますよ。

アクセス方法

場所は天草市河浦町崎津539にあります。

  • お車でお越しの場合:熊本市内から2時間40分ほど
  • バスでお越しの場合:熊本駅から快速あまくさ号の五橋入口経由・産交バス【本渡バスセンター】を下車し、一町田中央に乗り換え【教会入口】を下車し、徒歩1分

になります。

漁村の知識を使った方法で守り抜いた場所ですので、ぜひ一度教会にも足を運んでみてくださいね。

当時は聖画を密かに拝んでいた!【外海の出津集落

禁教令が出た後も独自で信仰を行っていた集落になります。

小規模の組織を作り、各自で聖画や教書などを伝承していた歴史があります。

禁教令が解禁されたことで、カトリックへ信仰した人々も多くいましたが、中には以前のように密かに信仰を続けた者も居たそうです。

その後は1882年に【ド・ロ神父】が高台に教会を建てたことで、潜伏キリシタンは居なくなりました。

出津集落には教会があり、【カトリック出津教会】が今も残っています。

この土地は海風がとても強く、潮風と海により建物もダメージを与えてしまいます。

このような土地で頑丈な建物を作るために、木造の平屋と漆喰の壁で作られました。

2011年には国の【重要文化財】に指定されており、キリシタンの神聖な場所が国にとっても重要なものとして評価された建物になっています。

アクセス方法

場所は長崎県長崎市東出津町1825にあります。

  • お車でお越しの方:【長崎IC】から有料道路経由で50分ほど
  • 電車でお越しの場合:長崎駅から長崎バスの坂の浦行【あんねい橋】を下車し、徒歩10分ほど

になります。

近くにはカトリック出津教会がありますので、ぜひ外観だけでも見に行かれてくださいね。

施設内を見学される場合は事前予約が必要になりますのでご注意ください。

信仰を隠すために神社に祀っていた!【外海の大野集落

出津集落と同じく独自で信仰を続けた場所になります。

当時の外海地区には5000人の信徒が居た。とされ、出津と合わせて多くの人々がキリスト教を信仰していた歴史がございます。

こちらは神社に自らが信仰している対象を祀ることで、信仰を続けていた。とされています。

またオラショと言われる祈りを神社で行っており、仏教の場所でありながらキリスト教との共存を図った集落になります。

この地域から多くの人々が五島列島に移住したとされ、離島で信仰を続けた。と言われています。

時代が進み、禁教令が解禁になったことで神社の横に教会を作り、潜伏キリシタンとしての歴史を終えることとなりました。

アクセス方法

場所は長崎県長崎市大野町にあります。

  • お車でお越しの方:長崎自動車道【長崎IC】から有料道路経由で50分ほど
  • 電車でお越しの場合:長崎駅から長崎バスの桜の里ターミナル行【桜の里ターミナル】を下車し、さいかい交通バスの板の浦行【大野】を下車し、徒歩15分ほど

になります。

公共交通機関をご利用の場合は2時間ほどかかりますので、お時間に余裕をもって行かれてくださいね。

仏教寺院にマリア像が!【黒島の集落】

九十九島最大の教会がある場所で、レンガ造りが特徴的なものになっています。

当時は平戸藩の領地であったため、平戸や生月島・外海地区から多くの人々が移住した島になります。

もともと住まわれていた人々との共存を図り、仏教を信仰していながら寺院に【マリア観音】を建て、自身の信仰対象へ祈りを捧げていました。

禁教令が解禁された後はカトリックを信仰し、島民自ら教会堂を建てた。という歴史があります。

現在も港付近には神社やお寺があり、仏教を信仰しているように見えますが、島民のほとんどがキリスト教を信仰しています。

寺院にキリスト教の信仰対象があるのは大変珍しく、黒島の歴史として語り継がれています。

アクセス方法

場所は長崎県佐世保市黒島町にあります。

島になるためフェリーでのアクセスになります。

佐世保駅から相浦浅橋行きのバスに乗車し、終点【相浦浅橋】を下車。その後フェリーで黒島港に行きます。

フェリーで行くことになるため、場所だけでも覚えておいてくださいね。

五島列島にある信仰を続けた島!【野崎島の集落跡】

現在も集落として残っている場所がある中で、こちらは無人になってしまった場所です。

外海地区から開拓を目的に移住した人々の中には潜伏キリシタンもいたとされ、五島各地に移住し、各々で密かに信仰していたとされています。

野崎島も同様であり、人々が来る前は沖ノ神嶋神社の神官と氏子だけだったそうです。

潜伏キリシタンは信仰を隠すために氏子を祀りながら密かに自身の信仰対象へ祈りを捧げていました。

その生活が終わりを迎えるきっかけになった禁教令の解禁により、島の2ヶ所に教会を作り信仰を続けた。と言われています。

時代が進むにつれて経済の発展が行われ、1971年を最後に無人島になってしまいました。

その後は小値賀町の敷地となり、2011年に【小値賀町の文化的景観】となり国の重要文化財に認定されました。

現在の島は文化財認定に基づき修復されたものになっています。

アクセスすることは可能であり、島の景観をご覧になることができます。

しかし無人島であるため、各自で行くことはできず【おぢかアイランドツーリズム】への予約が必要になります。

ご興味がある方はぜひ訪れてみてくださいね。

訪れる際の注意点などは下記に記載しております。

アクセス方法

場所は長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷にあります。

こちらは訪れる際に事前連絡が必要になります。

日帰り・宿泊のどちらでも、訪れる7日前までに【おぢかアイランドツーリズム】へ予約が必要です。

こちらもアクセスするのが大変なため場所だけでも覚えてくださいね。

当時は療養地として使用されていた島!【頭ヶ島の集落】

外海地区から開拓を目的に移住した場所であり、こちらは病人の療養地として人々が避けていた島になります。

移住するにあたって仏教徒の指導者も共に訪れたことで、開放的な信仰はできませんでした。

しかし自らが仏教を信仰している。と素性を隠し、密かにキリスト教を信仰していた。とされています。

上五島には神父が訪れていた歴史がありましたが、信徒発見により五島でキリシタン弾圧【五島崩れ】が起きてしまいます。

潜伏キリシタンは拷問を受け、一時島を後にします。

その後島に戻った人々は1887年に木造教会、1919年に石造りの教会を建てることになります。

石造りの教会は大変珍しいものであり、また内装にツバキの文様が描かれていることから【花の御堂】として親しまれました。

2011年には珍しさと煌びやかな内装が評価され、国の重要文化財として認定された場所ですよ。

島へのアクセスはできますので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

アクセス方法

場所は長崎県南松浦郡新上五島町住郷頭ヶ島638にあります。

五島列島の最も東側に位置している島です。

アクセスはできますが五島列島のフェリーのお時間等をご確認くださいね。

ぜひ世界遺産の場所だけでも知っておいてくださいね。

当時は島民と共存しながら信仰を続けていた!久賀島の集落

開拓を目的に移住した4つの場所の一つになります。

もともとは仏教を信仰していた場所ですが、潜伏キリシタンは自らを仏教信徒として偽りながら、自身のキリスト教を信仰していた。とされています。

漁業と農業が盛んな場所であり、潜伏キリシタンも共存を図ります。

その後信徒発見により厳しい弾圧に耐え抜き、禁教令の解禁後はカトリックへ復帰し、島に教会を建てました。

海辺の近くに教会があり、現在も木造教会が残っていますよ。

アクセス方法

場所は長崎県五島市久賀町にあります。

長崎本島から五島列島福江港に行き、その後定期船・クルーズで久賀島に行くことができますよ。

例)長崎空港から長崎県営バスで長崎港を下車し、九州商船福江港まで行きます。

福江港から定期船もしくはクルーズで【久賀島】に着きます。

この目で見てみたい。という方はぜひ一度行かれてみてくださいね。

もともとある集落とは別の集落を作った!【奈留島江上集落

開拓を目的に移住した4つの島の最後になります。

他の島では共存しながら生き抜いた歴史がありますが、こちらは少し異なります。

江上地区と呼ばれる場所に4家族が住み着いた場所になります。

もともとあった既存の集落とは別の場所に作り、独自で信仰を続けていました。

山々に囲まれた島だったため、既存の集落から離れた山の斜面に集落を作り、稲作や漁業で生活されていた。と言われています。

禁教令が解禁された後はカトリックへ復帰し、漁業で得た資金で教会を作りました。

それが現在もある【江上天主堂】になります。

天主堂付近には湧水が出ていることから湿気による建物の腐敗を防止する目的で床を高く上げている特徴があります。

また海風や潮風の風を通せるように通風口などの工夫が施されています。

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他の3つの集落と全く違う生き方をした人々が住んでいた場所ですので、ぜひ一度行かれてみてはいががでしょうか。

アクセス方法

場所は五島市奈留町浦1815-3にあります

こちらも五島列島の島になりますので、フェリーでのアクセスになります。

例にあげますと

長崎空港から長崎県営バスで長崎港を下車し、九州商船福江港まで行きます。

福江港から五島旅客船に乗り【奈留島】に着きます。(所要時間は2時間35分)

ぜひこの目で見てみたい。という方はぜひ一度行かれてみてくださいね。

日本にキリスト教が伝承されていた事実がわかった場所!【大浦天主堂

ある一人の告白で禁教令の中、キリスト教が信仰されたという証拠が証明された場所になります。

1865年に多くの方が礼拝に訪れる中、ある一人がプティジャン神父に対して「私たちもあなたと同じ信仰をもっています」という告白をします。

神父と信徒は大いに喜びましたが、1867年に幕府による禁教令により浦上の地で3000人を超える信者が捕らえられ、西日本各地に飛ばされてしまいます。

しかし禁教令が解かれた1873年には多くの信者がこちらを訪れ、お祈りをささげた場所。という歴史があります。

1933年には洋風建物の代表的な建造物として国宝に指定されます。

その後1945年に長崎に原爆が投下され、教会は甚大な被害を受けました。

教会ができて80年が経過したこともあり、老朽化と補修を兼ねて1952年に5年の歳月を経て現在の教会が完成しました。

戦争が終わり、日本国憲法が発足したことで改めて1953年に国宝に認定された場所になります。

ある一人の告白により長崎の地に潜伏キリシタンが存在していたことを証明した場所であり、2度にわたる国宝に認定された長崎の観光スポットですよ。

キリシタンの歴史において最重要な場所になりますので、長崎を訪れる際はぜひ足を運んでくださいね。

アクセス方法

場所は長崎市南山手町5-3にあります。

になります。

キリシタンの歴史を語る上で欠かせない場所ですので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】の場所について紹介

いかがでしょうか。

長崎や天草でキリスト教が信仰されていたことがわかります。

歴史において長崎と天草はキリスト教と切っても切れない関係であり、多くの方の支えになっていたのも事実です。

今回紹介した中には観光スポットとして多くの方が訪れている場所もありますので、機会があればぜひ訪れてみてくださいね。

五島列島にも多くありますので、行かれる場合はお時間等を確認してから行くようにしてください。

また長崎には教会がたくさんありますので、キリスト教の歴史について知りたい方はぜひ教会めぐりも楽しんでくださいね。

今回の内容が少しでもわかりやすくお伝えできていれば幸いです。