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萩市の世界遺産を巡る!当時の雰囲気を楽しめるスポット

皆さんは日本にある世界遺産を何か所ご存じですか?

山口県にも世界遺産があり、その全てが萩市にあるんですよ。

今回は萩市にある世界遺産を巡ろう!当時の雰囲気が味わえるスポット】をご紹介していきます。

近代日本の礎を築いた構成遺産がございますので、ぜひ一度見に行かれてみてはいかがでしょうか。

明治日本の産業革命遺産について!

西洋から非西洋への産業化の移転に成功したことを証言する産業遺産群のことであり、山口県だけでなく九州や静岡県岩手県などにある全国8県11市に分付される構成遺産になります。

19世紀後半から20世紀の初め頃にかけて、日本は工業立国の土台となる製鉄や製鋼、造船などの重工業が急速に発展致しました。

これらにより日本は一気に近代化を成し遂げた。と言われています。

重工業が発展した理由として1850年代から1910年の半世紀で西洋の技術が移転され、日本の伝統文化と合わさって産業システムとして確立しました。

萩市には5つの場所は構成遺産に認定されており、西洋の技術書や西洋の事例を模倣することで製鉄や造船などを作っていた。という歴史がございます。

試行錯誤を繰り返し専門知識や日本の伝統を重ねて、本格的な産業化に成功した。とされています。

このような歴史が萩市にはあり、現在は観光スポットとして連日多くの方々が訪れていますよ。

ではどのようなスポットがあるのか見ていきましょう!

山口県で唯一の世界遺産になりますので、ぜひ一度お越しくださいね。

当時の最先端技術を用いた明治時代を象徴するスポット!【萩反射炉

西洋で作られていた金属溶解炉であり、萩藩がスケッチのみで建設した建物になります。

江戸時代末期に外国からの脅威に備えるために建設されたもので、軍事力の強化と共に鉄製大砲の鋳造(ちゅうぞう:液体を流し込んで形作る製造法)に必要な反射炉になります。

1855年佐賀藩反射炉の製造に成功を収めており、佐賀藩に鋳造法を伝授してもらおうと試みましたが拒否され、反射炉のスケッチのみが許されました。

萩藩はスケッチを行い、藩に持ち帰りスケッチのみで反射炉の建設を行なった。という歴史がございます。

実際の反射炉は16mほどの大きさとなっておりますが、萩藩は10.5mになっており実物の7割程度の大きさになります。

1856年に一時的に試験が行われた。という歴史があり、こちらの反射炉は試作的に作られたものになります。

現在は当時の遺構として観光スポットになっており、世界遺産に登録されてから多くの方から注目を浴びました。

当時の藩主たちがスケッチのみで作り上げた。という西洋文化を積極的に取り入れようとした歴史の背景を感じることができます。

このような遺構は大変珍しく、静岡県と鹿児島県の合わせて3県しか残っていない貴重なものです。

当時の技術を用いて作られたものであり、江戸時代末期の産業技術をご覧になることができますよ。

タイミングが合えばガイドさんがいらっしゃいますので、当時の背景などいろいろ聞いてみてください。

現代に残されている大変貴重なものですので、ぜひ一度ご覧になってくださいね。

アクセス方法

場所は萩市椿東4897-7にあります。

になります。

試行錯誤しながら取り組んだ歴史がありますので、ぜひ一度見に行かれてくださいね。

幕末時代には2隻の船が造られた?【恵美須ヶ鼻造船所跡】

当時は船を製造する拠点となったスポットであり、現在はのどかな海が広がる癒し空間になっている場所です。

1853年に幕府は各藩に船の建造を解禁し、萩藩にも大型船の建造を要請しました。

これは軍備・海防力の強化を目的としたもので、萩藩も船の製造に取り掛かります。

1856年に洋式造船技術と船の運転技術習得のために幕府が西洋式帆船の君沢型(オランダではスクーナー船)を製造した伊豆戸田村(現在の静岡県)に船大工棟梁【尾崎小右衛門】を派遣します。

現地で船の製造に携わった【高崎伝蔵】らとと共に萩藩に持ち帰ります。

その後、海や土地の視察を行い、現在の場所に軍艦製造所を建設いたしました。

こちらでは2隻の船を作ったとされており、ロシア式の技術を用いた【丙辰丸(へいしんまる)】とオランダ式の【庚申丸(こうしんまる)】の製造に成功しました。

異なる2つの国から用いた技術で作られた場所は当時では大変珍しく、全国で唯一の造船所であったとされています。

現在は石造堤防のみが残されており、当時の雰囲気を味わうことができます。

【恵美須ヶ鼻造船所跡ガイド詰め所】にてVRでご覧になることができ、当時の船をご覧になることもできますよ。

のどかな海と自然に囲まれたスポットになっておりますので、歴史を感じながら景色を楽しまれてくださいね。

アクセス方法

場所は萩市椿東5159-14にあります。

になります。

当時の景色が残されているスポットですので、ぜひ一度お越しくださいね。

日本の伝統的製法を用いていた施設!【大板山たたら製鉄遺跡】

砂鉄と燃料の木炭を炉に入れて鞴(ふいご)を用いて行う製法が使用されていたスポットで、このような製法を【たたら】と言います。

【たたら】は日本の代表的な製法であり、こちらは江戸時代のたたら製鉄跡地になります。

現在の地に製鉄所が作られたのは、炭の原料が豊富であったから。と言われています。

歴史を知る上で3回稼働していた。とされており、

  • 宝暦期:1751年〜1764年
  • 文化・文政期:1812年〜1822年
  • 幕末期:1855年〜明治初期

に行われていたことがわかっております。

発掘調査により製鉄炉などが発見されていることから当時の製鉄所があったことを裏付けています。

こちらで作られた鉄は恵美須ヶ鼻造船所で使用され、丙辰丸の釘や碇に使用されていたそうです。

当時の主要施設【鍛冶屋】や【高殿】の遺構が残されており、建設跡などをご覧になることができます。

現在は面影だけになっておりますが、歴史の中で栄えた製鉄所であったことを感じ取ることができます。

こちらを訪れて興味が湧きましたら【大板山たたら館】が平成29年にオープンされ、製鉄遺産や明治時代の産業革命について紹介しておりますのでお立ち寄りください。

江戸時代に存在した製鉄跡になりますので、ぜひ一度ご覧になってくださいね。

アクセス方法

場所は萩市紫福大板257-1にあります。

お車でお越しの方:中国自動車道【山口IC】から国道9号線を経由して1時間10分ほどになります。

電車やバスでのアクセスが困難なため、公共交通機関でお越しの方はレンタカーで行かれることをおすすめします。

日本の伝統と西洋の技術を合わせるための拠点となった場所ですので、ぜひ一度お越しくださいね。

萩藩がさまざまなことに立ち向かった拠点!【萩城城下町】

産業化の発展を目指して当時の地域社会における行政や経済、政治が行われていた場所であり、今なお当時の雰囲気が残されているスポットになります。

萩藩の産業化や西洋技術の導入などが政策形成された拠点になります。

萩城城下町は

  • 萩城跡
  • 旧上級武家
  • 旧町人地

の3地区で構成されており、当時の生活風景や雰囲気を感じることができます。

萩藩が急速な発展を遂げた背景には、城下町を形成した匠の技術があったから。だと言われています。

城下町が身分制を導入していたことがわかる地区構成や伝統、地域社会の政策背景などがわかる貴重なスポットになっております。

現在は散策スポットとして人気があり、当時の街並みや雰囲気を味わうことができます。

白壁や建物など。大切に保管されているものばかりですので、ゆったりとご覧になることができますよ。

街並みや生活背景などを知ることができるスポットですので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

アクセス方法

場所は萩市呉服町1丁目にあります。

になります。

萩藩の人々が西洋の技術を試行錯誤していた拠点になっていますので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

門下生によって一気に近代化を実現できた!【松下村塾

明治維新における重要な人物を輩出した場所であり、萩市を代表する偉人【吉田松陰】が主宰した私塾になります。

吉田松陰は工学教育の重要性を感じとり、自力で産業近代化の実現を図ろうと提唱しました。

このような背景には1853年に日本を脅威に陥れた【ペリー来航】があったからだと言われています。

日本の技術を遥かに上回る黒船を目の当たりにした吉田松陰は法律を禁じてまで外国の密航を図ります。

外国に渡ることを艦隊に申し出ますが拒否され、江戸に連行されてしまいます。

それにより国許幽閉が申し渡され、萩市に帰還した吉田松陰は野山獄(長州藩の牢獄)に繋がれてしまいました。

1855年に野山獄を出た吉田松陰は杉家宅に幽閉されます。

杉家宅では【孟子】の講義を家族に行っており、これは獄中でも行っていたそうです。

最初は家族を相手に行っていたものが近隣の子弟にも伝わり、大勢参加するようになります。

これが【松下村塾】の由来とされ、門下生たちは明治維新を成し遂げる知識を習得した。と言われています。

吉田松陰は1858年に起こった【安政の大獄】により死罪が言い渡され、1859年に再び野山獄に繋がれたのちに江戸に移されのち、同年に江戸伝馬町で殉節されました。

いち早く時代の先駆けを志し、多くの塾生達を輩出した吉田松陰は数えで30歳の若さであったとされています。

明治維新を成し遂げるために重要なことが学んだ【伊藤博文】や【高杉晋作】達は、その後1868年に新しい元号【明治】が発足することになりました。

日本の近代化を掲げた多くの人物が門下生であったことから、近代化・産業化の出発地点とも言われているスポットです。

現在は観光スポットとして多くの方が訪れており、当時の雰囲気と建物をご覧になることができます。

歴史の偉人達を多く輩出しているスポットとして、歴史巡りや歴史ファンの方で大変賑わう場所ですよ。

いち早く日本の近代化を目指した吉田松陰ゆかりの地ですので、ぜひ一度訪れてみてくださいね。

アクセス方法

場所は萩市椿東1537にあります。

になります。

伊藤博文が門下生として学んだ場所ですので、ぜひ一度お越しくださいね。

萩市にある世界遺産を巡ろう!当時の雰囲気が味わえるスポットを紹介

いかがでしょうか。

当時の街並みと雰囲気が残っている萩市は、明治維新・近代日本の先覚として重要な場所になっていました。

明治日本の産業革命を支えたスポットになっており、当時の最先端技術と伝統文化をご覧になることができるスポットになっていますよ。

萩市は散策スポットとして人気の街ですので、観光に訪れた際はぜひ世界遺産も併せてご覧になってくださいね。

今回の内容で萩市世界遺産についてお伝えできていれば幸いです。